ラスボスアグネス

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子を抱えた女が預言者に問いかけた 

子供とは何か を

預言者は答えた  

“子はあなたの子ではない 生命の希望そのものの息子であり娘なのだ

あなたの分身ではない あなたと共にいるが あなたの物ではない

愛するのはいいが 考えは与えるな 子には子の考えがある

共に暮らすのはいいが 魂を縛るな 子の魂は明日の家に住むのだ たとえ夢の中でも あなたは立ち入れない

子を手本とするのはいいが 子の手本になろうとするな 生命は後戻りせず 昨日にとどまりもしない

あなたは弓であり 子は生きた矢として放たれる 射手は無限の道にある的に狙いを定め 矢が遠くに飛ぶよう力強くあなたを引きしぼる

射手に引かれるのは喜ばしいことだ 射手は飛びゆく矢を愛し とどまっている弓も愛するのだから”


中東の詩人、カリール·ジブランの言葉でしょうか、

この詩の朗読の中、

二人の若い夫婦が草原地帯の自然の中をドライブしています。

助手席でお腹が大きいのが、妻レイチェル

運転しているのが夫のマット

都会の喧騒から逃れ、対向車とすれ違うことすらなさそうな田舎道をドライブしています。

妻の家系の傾向やら妻の勘やらで、お腹の子は絶対男の子、と妻レイチェルが幸せな会話を続けています…


今回は、

この幸せそうな夫婦に降りかかる恐ろしいスリル映画、「妊婦監禁」をご紹介したいと思います。

妊婦監禁(原題 Matriarch)は、2024年日本初公開のイギリス映画(2018年)。

最近、アマゾンプライムビデオで視聴出来ようになったばかりの作品です。

B級映画のような邦題がついていますが、

それほどチープな作品ではないですし、ヌードシーンもないような作品なので、

普通のスリラー映画として楽しめる作品になっています。

この手の映画だと、スティーブン·キング原作のミザリーという作品が好きだったのですが、

ちゅう的には、同じくらいの評価をしたくなった作品でした。

それでは、

早速 妊婦監禁 の続きを観ていきましょうか。


🆘ネタバレ注意🆘

カーナビに従い、のどかな人気の無い田舎をドライブする妊婦レイチェルと夫のマットは、

通行止めの標識で車を停めます。

右に迂回するよう標識にあったので、それに従うわけですが、

舗装はされているものの狭い道路に入っていきます。

人気の無いところではありながらも、木彫りのボートが道路脇にあったりと、人間の住環境に近づいているのでしょうか、

マットは周りに目を取られているうちに、道路から外れ、立木に衝突してしまいます。

狭い道なのでスピードは出していませんでしたが、

潰れたボンネットからモクモクと白煙が出てきてしまいます…

この事故で二人に怪我はなかったのですが、車は動かなくなってしまいます。

人気の無い田舎ですから、電話しようにも完全な圏外地域で外部と連絡のとりようがありません。

この辺りは見晴らしの良い草原地帯なので、マットは背の高い木に登り、電波を探りますが圏外地域。

そのかわり、目視で建築物を見つけます。

農家の建物なのか、何かしらの建築物を見つけた二人は、

その建築物の方向へ歩いていきます。

更に、私有地につき侵入禁止の看板を見つけた二人は、

外部と連絡が取れる住環境があるはずと、

更に更に奥へと歩を進めて行くことになります。


手を繋ぎながら田舎道を歩く二人。

だんだん農機具や倉庫らしき建物が見えてきて、人家が近づいている感が強くなってきたところで、

一台の車が後ろからやってきます。

夫のマットは車に近づき、話をしようとしたところ、

運転手の初老の男に、所有地から出ていけ、と一喝されます。

車が事故で動かなくなってしまったので電話を借りたいこと、

妻が身重なので、これから他に頼れそうな家を探すのが困難なことを、

初老の男性に説明します。

レイチェルのお腹を見て厳しさが少し緩んだ雰囲気の男は、

赤ちゃんの性別を尋ねてきます。

男の子と答える彼女を見て、頬が緩む男。

車の無線で、妊婦とその夫を連れて行くと妻に連絡を入れてくれます。

最初は初老男性と同様の態度をとる妻でしたが、

妊婦さんがいると分かるとこちらも初老男性と同様の歓迎の意を見せます。

無線の内容から初老男性の妻の名は、アグネス

やっと外部と連絡が取れそうだと喜んで車に乗り、アグネスが待つ老夫婦の家に向かうことになります。

子どもが好きな老夫婦だとレイチェルとマットは思ったのかも知れません。

車窓を眺めていたレイチェルは、

一人の(気味の悪い)少女を見かけます。

ハッキリとした輪郭はわかりませんでしたが、少女と遭遇するような場所とは思えない所に何故いたのか?

なんでここに少女が?

と不安を助長するワンシーン。


古くて大きな屋敷についたレイチェルとマットは屋敷の住人から歓迎を受けます。

白髪を後ろで束ねた初老の女性は、アグネス

満面の笑みでレイチェルを迎い入れます。

マットを迎えるのは二人の若い男

こちらは二人とも無表情で、着ている服がボロボロ…

ぎこちない歓迎に戸惑いながら屋敷に入るマット。

マットの後に続く初老の男性もマットを歓迎していない様に見えます。

何やら歓迎されている感がありません。


早速、妊婦さんがゆっくり休めそうなベッドが二つある部屋にレイチェルとマットを案内するアグネス

すぐにでも電話を借り車の修理手配などを済ませたかった二人でしたが、

まずは身体を休めて、というアグネスの好意にあまえることにします。

家の中はタイムスリップしたような昔の雰囲気。

聖書や十字架がところどころにあったり、キリスト教を想起させるものが目につきます。

やっと、部屋で夫婦二人きりになると、

時代錯誤な部屋のインテリアの話や、この家の不気味さ、早く帰りたい、などなど、

二人が思っていたことを話し合います。

アグネスが廊下で二人の話を聞いていたことなど知らないで😱

レイチェルは、道路で見かけた不気味な少女の話もマットにします。

その話をしながら外を眺めた時に、

ちょうど、その不気味な少女が、レイチェルを見つめ外に立っていました…

急ぎマットが外を見た時には、

既に、その娘はいませんでした。


食事の時間となり、二人はテーブルに招かれます。

テーブルには、旦那ボブ二人の息子、そしてアグネスがいます。

息子二人を紹介するアグネスはレイチェルに向けて、

息子たちに手を出さないで、という言葉を口にして

息子に交互にキス(口づけ)します😱

息子たちを誘惑するな、と来客に告げるアグネスは、ニコニコ笑顔ですが、

明らかに空気を悪くしていきます。

ボブのお祈りが終わり仔羊の料理を食べるころには、少し会話をするのですが、

場を明るくするようなものはありませんでした。

家族がもう一人いるが、名前はフェイスという少女であること。(スナップ写真からレイチェルが何度か見かけた少女と同一人物

子どもは授かることが出来なかったので、3人とも養子として貰ったこと。

子どもは学校に行かせず、母親アグネスが教育をしていること。

などがアグネスから語られます。

食事を終え部屋に戻った二人は、ここの住人の異常さを知り、

明日は早く電話をさせてもらい、一刻も早くこの屋敷を出て行こうと確認、ベッドで一眠りします。

レイチェルはその晩、道端で見た不気味な少女(フェイス)の夢をみます。

フェイスの悪夢で早朝に目覚めたレイチェルは、

フェイスの顔が、昔テレビのニュースで騒がれたエリー·アダムスという誘拐された少女にそっくりなことを思い出します。

アグネスは、エリー·アダムスを誘拐(彼女の両親を殺害)、

フェイスという名前を与え自分の娘とした、と。

この犯罪にレイチェルは気付きました。


早朝でしたがマットを叩き起こし、

フェイスがエリー·アダムスと同一人物であることを説明、

二人はこの屋敷から逃げ出すことにします。

静かに部屋を出て、静かに階段を降りていきます。

玄関に鍵が掛かっておりドアが空きませんでしたが、近くにキーがぶら下げてあります。

マットは不覚にもそのキーを掴み損ね、派手に落としてしまいます😰

キーを拾い直し鍵を開けた時には、

腕組みをしたボブが後ろに立っていました。

言い訳のような説明をして屋敷を飛びだした二人でしたが、

二人の兄弟が猟銃をもって待っていました。

レイチェルは緊張からなのか、こんな時に破水してしまいます。

マットは猟銃で頭を殴られ意識を失います。

家から出てきたアグネスとボブ、

そして猟銃を持つ兄弟に囲まれ、頭を殴られたレイチェルは気を失ってしまいます。


気付いた時にはベッドでお産直前のレイチェル。

夫のマットのことを尋ねると、

あなたの夫は神の国へ旅立った、とアグネス。

アグネスは絶望に突き落とされます。

そして、すぐにその日がきます。

アグネスが赤ちゃんを拾う形で出産が行われました。

産まれた子どもは女の子だった様子。

明らかに不機嫌に見えるアグネスとボブに抱かれどこかに連れていかれる赤ちゃん。

レイチェルは赤ちゃんとも離され泣きじゃくるだけ。

最初にここに拘束されるようになってから片腕を拘束された状態でしたが、

緩い拘束だったので、今になってやっと解くことが出来ました。

(武器になりそうもない)十字架をベッドに隠し、次にアグネスが来る機会を待つレイチェル

思惑通りアグネスを十字架で襲うレイチェルでしたが、

息子たち、ボブが現れ、敢えなく反撃をくらいます。

改めて拘束され、恩知らずのろくでなしと罵られます。

女の子を産み増やすなんて、というセリフも吐かれます。(女子を産むことがいけないのか?)

アグネスに子どもを返すよう頼んでも、“My baby”ととりつく島もない。

このファミリーの異常さを訴えても、レイチェルの住む世界こそがおぞましいとアグネス。

卑猥、同性愛、虚像崇拝と現代人こそ病んでいるのだと。

神の意思に従う自分たちは光である、とも。

赤ちゃんを奪われ、夫を殺され、監禁されるという理不尽を受けるレイチェルは、言葉で返します。

あなたたちがフェイスの両親を殺し、ここにいる二人の兄弟の親も殺したのだ、と反撃します。

聖書にもある、汝殺すなかれ、じゃないのかと。

これに対し、アグネスは怒りをもって早口で反撃。

申命記13章 他の神々を崇拝しろとそそのかす者たちを許すなかれ、情け容赦は無用だ、確実に殺してしまわねばならぬ 」と。

更に、フェイスを悪魔(フェイスの本当の両親)から救ってあげたのだと。

アグネスとボブの本気の怒りを買ったレイチェルは、

柔らかいベッドの上から、堅固な作りの家畜の納屋に移されます。

産まれたばかりの赤ちゃんのミルクを作るためだけに生かされることになるレイチェルはどうなってしまうのか…


ここで夫のマットについても話さねばなりません。

屋敷からの逃亡に失敗したあと、猟銃で頭を殴られたマットは、

息子兄弟に素っ裸で棺桶に入れられ土の中に埋められるのですが、

殺されずに棺桶の中に閉じ込められました。

首をかき切って殺すはずだったのですが、服を血に染めるのがイヤだったのか、

生き埋めでもすぐに死ぬと判断したのかわかりませんが、

生き埋めという形を兄弟が取ったことで、マットは死から逃れ、棺桶から脱出、

土の中からゾンビのように地上にもう一度姿を見せます。

それは、奇しくも満月の夜のことでした。


マットは素っ裸で草原を探し周りますが、中々人影を見ることに叶いません。

ちょうどレイチェルが家畜の納屋に移されたのと同じころ、

マリファナで遊ぶ不良青年二人組を見つけます。

話を信じて貰えず馬鹿にされたマットは、実力行使で二人を紐で拘束します。(当然服を奪って)

二人から外部と連絡が取れる場所を聞き出しその場を去っていきます。

(残された二人は、ボブのことを恐れている話をしているので、どんな家なのかは分かっているようです)


その頃、女主人アグネスの屋敷では、

二人の息子から母アグネスに相談が持ちかけられていました。

それはレイチェルの処遇についてなのですが、

産まれた赤ちゃんのミルクが必要なくなったら、彼女を殺すのではなく、

兄弟二人で男の子を産ませる、といった内容の話でした。

アグネスは烈火の如く怒り出し、穢らわしいと却下します。

母の逆鱗に触れた兄弟は、計画を諦めるかと思いきや、

母を無視して子供を作ると意気込みます。

そして、

その足で納屋に行き、レイチェルを襲おうとします。

が、

レイチェルの旦那マットが現れ、

二人を一瞬の内に撲殺してしまいます。

再会の抱擁の後、産まれた子供の話をレイチェルから聞き、

先ずは二人でここから脱出して、子供は警察に任せようとマット

レイチェルの自由を奪っている拘束具を壊し二人で脱出という時に、

納屋の外に出ると、ボブが猟銃を構え立っています。

すぐにレイチェルを庇うマットでしたが背中を一発撃たれます。

次はレイチェルに銃口が向けられますが、

倒れながらも、その銃口を掴むマット

レイチェルに、

逃げろと呼びかけましたが、

レイチェルは動けず。

レイチェルの目の前で、

マットは至近距離から猟銃で撃たれ、吹き飛ばされてしまいました。

マットの返り血を顔に浴びるレイチェル…

気付けば又、納屋の中で鎖に繋がれているレイチェル。

痣だらけで身体を横たえるしか術のないレイチェル。

これからレイチェルは、

アグネスとボブの二人とどのように対峙していくのか

どのように子どもを取り戻すのか

時折顔を見せるフェイスは、どういう立ち位置にあるのか

そして女家長( Matriarch)、アグネスとの最終決戦はどのように決着するのか?

続きは映画で確認していただきたいです。


冒頭に載せたカリール·ジブランの詩の朗読から始まった妊婦監禁という映画ですが、

実は映画のラストシーンも、全く同じ詩の朗読でエンディングを迎えます。

女家長(Matriarch)アグネスの暴走ぶりを観れば、

詩の説得力が増すというもの。

今まで以上にカリール·ジブランの詩の意味を深く考えるキッカケになりました。

是非ともこのエンディングも観ていただきたいと思います。

心休まる良いエンディングでしたから。


この映画を見て、

思い出した二つの作品がありました。

一つが、冒頭にも書きましたスティーブン·キング原作のミザリーという映画。

アニーという女性に強い恐怖を感じたとても好きな作品だったのですが、

同じようなニオイを今回の映画の登場人物、アグネスに感じました。

それだけアグネスの狂人ぶりが面白い映画でありました。(アニー程ではないけど)

そしてもう一つの作品が、漫画家 諫山 創さんの進撃の巨人です。

正確にいうと、この漫画自体を思い出すのではなく、

作者である諫山さんの進撃の巨人に関わるインタビューを思い出した、というのが正解なのですが、

そのインタビューというのが、この漫画に出てくる巨人の行動パターンなどが、

実際に見てきた酔っ払いの行動から生まれた、という内容のものでした。

何をしでかすか動きが読めない感や、

話が全く通じないという怖さを、

酔っ払いから感じた、

という話を、今回の妊婦監禁を観て思い出しました。

神に選ばれたという選民感からくるアグネスの考えと、我々一般人と物事の考え方は、全く噛み合わないものです。

レイチェルが産んだ子どもだけども、アグネスの子ども、という当たり前が通じないアグネスの考え。

この噛み合わなさ というのが諫山さんのいう怖さと似ている、と感じたのです。

この映画に限った話ではなく、他にも該当する作品は多いのですが、

妊婦監禁は、特にそれを強く感じた作品でありました。


2018年の映画ですが、2024年に日本で公開されたばかりのこの映画、

正直このような邦題を付けたことが、ちゅうには残念なことでした。

このタイトル「妊婦監禁」であれば、一部のエロ系のファンしか目にしないのでは、

と思ったからです。

内容は決して悪いものではないので、ホラー、オカルト、スリラー、サスペンスが好きなひとは楽しめる作品だと思うので、

ちょっと勿体ないかなー。

でも…

レンタルビデオ屋さんでは借りづらいことを想定していますが、

サブスクの時代には、こういう邦題もありなのかなぁと考えてしまった ちゅうでした。


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