先日、Amazon Prime Videoで見たい映画を探していたのですが、2時間程どれを見ようか迷ってしまいました。
2時間といえば、ものによっては映画一本見ることが出来る時間。
時間がもったいないので、古い映画を見ようと条件を絞込んで探してみると、今度は興味をそそられるタイトルだらけで決められない。
アレも見たい、コレも見たい状態に入ってしまったので一旦リセット。
日本映画で古い物に絞り込んで、探して、計4時間…
(そう言えば、レンタルビデオ店で探すのは楽しかったよね)
昭和5年作の日本映画、何が彼女をさうさせたか に決めました。
夜だったので、もう少し軽い感じの映画を探していたのですが、
とにかく昭和5年に惹かれて、決めたのが、24時50分のとき。
遅い時間でしたが、
もう昭和5年を止められず、真夜中の宴を始めたのでした。
冒頭に字幕で
フィルムがロシアで見つかったこと、(1992年にロシアにあることがわかり買取したとのこと)
フィルムの欠損がひどいところは字幕で対応していること、
無声映画だったものに音楽を加えたこと、
などが説明されます。
共産主義の活動の話かと思いましたが、そうだとしたなら、
彼女が何かをやらかしたようなタイトルというのは不自然なような…(良く出来ました的なタイトルなら分かる)
体制側の立場の映画なら、日本でも見つかりそうだし…否、戦争で焼失もあるかも知れないけど……
いろいろ考えを巡らせていると、少女すみ子がひとり旅をしている描写を字幕が伝えてくれます。(映像が毀損してるから?)
そして旅の途中、最初に出会うのは荷物を運ぶ車力の老人。
彼は腹を空かせたすみ子に、雑煮を腹いっぱいご馳走してくれる、最初にそんな映像が写し出されます。
この時のすみ子と老人の会話から
住んでいた村には学校がないので、親元を離れ親戚の家に預けられること
親戚の叔父さんに手紙を渡せば学校にいけるようになっていること
が分かります。
彼女は字が読めないので、老人にその手紙の内容を教えて欲しいと頼みますが、
老人は手紙を眺めた後に、字が読めないから内容が解らないと手紙を返します。(本当は読めている?)
その夜、すみ子が眠ったのを確認してから、老人はすみ子の大切な風呂敷包みを開けて…
(後で分かるのですが、彼女のために銀貨をがま口に入れてあげたようです)
次の日、車力の老人は親戚の住む村が見えるところまで、彼女を荷車に乗せてくれました。
ここで親切な老人とお別れ。
辿り着いた親戚、叔父の家は子だくさんの貧しい家で、
酒飲みの叔父は最初こそすみ子を歓迎する素振りも、学校に行かせることに関しては渋い顔。
叔母のほうは最初から意地悪な態度。(コッチも酒好き)
すみ子の父親からの手紙を見て、夫婦は父親が自殺したことを悟り、手紙の中に忍ばせてあった、すみ子のための学資金(?)を見つけ懐に入れてしまいます。
更に、すみ子が手紙を読めないことをいいことに、サーカスに彼女を売ってしまいます。
サーカスに売られたすみ子は、当然学校に行ける訳もなく、イジメと厳しいサーカスの訓練で奴隷の如き扱いを受けます。
そんな中、似たような境遇の少年、新太郎と親しくなります。
彼の手助けで、字を読めるベテラン団員に例の手紙を読んでもらうすみ子。
父から叔父にあてた手紙の内容を初めて知らされます…父が自殺したこと、叔父に騙されたことを。
その後、良き理解者であった新太郎と恋に落ち、サーカスから逃げ出すことになります。
新太郎の姉の家に向かう途中、少しの別行動の間に、
彼は車に轢かれてしまい隣町の病院に搬送されてしまいます。
新太郎を待つすみ子の前に、彼は現れることなく…彼女はまたひとりぼっちに
この後、詐欺グループに利用されていたところを警察に保護され養育院へ。
県会議員や琵琶の先生の女中として働かされたり転々と転々と…
運命に翻弄されるすみ子
琵琶法師の女中の時、偶然に、恋仲であった新太郎と再会するのですが、
その現場で琵琶師と鉢合わせ、嫉妬からか琵琶師に襲われそうになります。
雨の中、必死に逃げるすみ子…
そして、新太郎のところへ
必然的に、夫婦となり、今まで感じたことのない幸せをやっと掴むのですが…
どんなに幸せでも、霞でお腹は満たせず、
そして、ふたりは心中を決意します。
新太郎と死ねることに幸せすら感じるすみ子でしたが、善意の漁師に助けられ、命を拾われてしまいます。
”望んだ死も得られず 再びこの世に救われた彼女が収容された所は 天使園であった“
この天使園という教会で、さらなる悲劇が彼女を襲うのですが…
タイトルの 何が彼女をそうさせたのか の何が は、すみ子の大切なもの、父親、金、幸福が搾取され続けたことで、彼女の人生が狂ってしまったこと、を言っているでしょうが、
そうさせたのか の方は、是非映画で天使園での出来事を見ていただきたいと思います。
この古い日本映画を見ての感想は、やはり昭和5年の映像についてです。
貧しい農家の娘は、江戸の時代劇に登場する貧しい町娘と同等くらいの身格好に見えたことです。
(逆に男性は髪形が現代に近いし、帽子やシャツを着ているひとが多く欧米化が進んでいる感じでしたが)
昭和初期というと世界恐慌の頃。
もう少し現代に近いのでは、と思っていましたが、貧しい農村と一部の都会では大きな差があるように感じました。
テレビで見かけるこの時代の映像は、都会の映像がほとんどなので、
この映画はフィクションとはいえ、庶民の生活レベルを知る貴重な映像と言えそうです。
それでも自動車が村を走ったりと(新太郎が事故にもあってる)、
現代風と時代劇風のミックスされた世界観が、とても不思議な感じで、
この映画のそういった映像を観るだけでも ちゅうにとっては価値のあるものでした。
そしてすみ子(高津慶子)の美人具合が想像以上でした。
少女から大人(13から20代中頃?)を高津慶子さんが演じたのですが、
少女時代は動きや仕草に幼なさが、
人妻になってからは落ち着いた大人感が上手く表現されていて、
綺麗なだけではなく、テクニカルな女優さんだと感じました。
是非ご覧になっていただきたい部分ですね。
他に興味深かったのは、小池晃、降幡賢一といった名前が 、エンドロールの協力者のところで見られることです。
多分政治家の小池さんとA新聞の珊瑚捏造記事を書いた降幡さんのことだと思いますが、(もしかしたら別人かも)
昭和初期の映画ですから、時期的にも共産主義者が作った傾向映画という一面があるのだと思います。
ただ主義は関係なく、自分の財産を増やすためなら、すみ子がどうなろうと構わない、という人たちは、
現在の特殊詐欺だとか人を食い物にする犯罪者と同類、という事実だけです。
兄を裏切りすみ子を売った親戚、
すみ子に無理矢理芸をさせたサーカス団、
贅沢三昧の県会議員の私邸、
神よりも信者よりも自分の財産が大切な天使園の園主。
こういうものを資本主義の欠点として描くことは、
映画に限らず、あらゆる芸術の中で普通に見受けられるものですから、
色メガネは外して 娯楽映画 として見ていただきたい気持ちです。(ちゅう は共産主義者ではありません)
コレは共産主義者の映画だから見るなとか、
逆に、資本主義を貶めて共産主義が正しい、なんて思うのは勝手なんだけど、
政治信条とかじゃなく、共産主義者の芸術 でもなく、
純粋に芸術 、純粋に映画として向きあっていたい人たちの邪魔をして欲しくない、と思う ちゅう でした。
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