タイトルに惹かれ映画の視聴を始めると、
オープニングクレジットは、この物語の結末を強制的に伝えてきました。
“1889年 スウェーデン伯爵スパーレ中尉と、 綱渡り芸人 ヘドヴィグ·イェンセンこと エルヴィラ·マディガンは、 デンマークの森で心中した。 これはその事件に基づく実話である”
みじかくも美しく燃え は1967年のスウェーデン映画の邦タイトル。
原題 Elvira Madiganは、この物語の悲劇のヒロイン、エルヴィラ·マディガンのことで、ヨーロッパで活動していた綱渡り芸の実在したスターだったようです。
綱渡りというとサーカスのイメージですが、もう少し芸術性を重視したもののようで、
どちらかというとバレエのダンサーに近いもののようです。
彼女は、音楽や踊りなど芸術的な興行の一員でヨーロッパを回り、その美貌と芸術性でスターに登りつめたのでしょう。
みじかくも美しく燃え のタイトルから死、別れがあると考えていましたが想像通り。
原題がエルヴィラの名前だったことと比較してみる、とタイトルが与える影響が違い過ぎます。
Elvira Madigan と みじかくも美しく燃え
それでもこの映画のオープニングクレジットの件からもわかりますが、
スタート時点で心中の話と言っているのだから、この日本語タイトルは good job だと ちゅう は思います。
死 は最初から与えて良い情報ということになりますから。
ちなみにこの日本語タイトルを付けた方は岩谷時子さんという作詞、翻訳家。
wikiで見てみると、輝かしい実績を残された方でした。(皆さんは知っている方でしょうか?)
ザ·ピーナッツの 恋のバカンス、加山雄三の 君といつまでも、海 その愛 の作詞をされた方って凄くないですか。
恋、愛の名曲からスケールの大きな海の歌まで。
映画のロマンチックなタイトルを考えられたのも頷ける実績ですね。
みじかくも美しく燃えは、映画の力以上のものを生み出す傑作邦題だと思います。
オープニングクレジットの心中の告白から、画面はスウェーデンの草原へかわり、素朴なメガネの少女が大自然で戯れる中、
その少女の目線で、二人の恋人、仲睦まじいスパーレ中尉とエルヴィラ·マディガン(以下エルヴィラ)が映し出されます。
田舎町で優雅なピクニックの雰囲気でしたが、よく見ると少し様子が。
シクステン·スパーレ(以下シクステン)がひげを剃りおとしたり、
高級そうな軍のカフスボタンを処分したりしているところを見ると、
やはり許されない恋の逃避行とわかります。(軍からの支給品は身バレしそうだから処分)
この頃は二人がとてもハイテンションで明るく、二人の世界に入れ込んでいるのを見ることでも、
駆け落ち、それも昨日今日逃げ出したばかりという感じがします。
最初はこの片田舎の小さなホテルを拠点として、
自然の中、子供のようにはしゃぎ遊び、恋をして、二人でできる生活を全力で謳歌している、そんな感じです。
ただ一つ気になったのが
幸せか?とシクステンに聞かれたエルヴィラは、幸せ過ぎる、と慎重に答えた後に
“綱の上では大胆だけど、地上に降りると臆病になるの” と
エルヴィラはシクステンを愛し愛されるだけでは不安だったのでしょうか。
逆に、シクステンには、彼女が地上に降りた時(彼にとっては貴族を捨てた時)の覚悟が足りていなかったのでは、と。
二人にとって最初の楽園でしたが、軍の追手が来る情報を得て、更なる逃避行へ。
(軍を抜けることは貴族であっても重罪にあたるそう)
初めは潤沢に思えた金目もどんどん目減りして、逃避するたび苦しくなっていく生活。
逃げることを続けていると、選択肢も減っていきます。
いろんなものに追い詰められ、行き場がなくなり、心中なのかと、映画が進むにつれ確信を強くしていきました。
第2の刺客(?)はシクステンの同僚にして友人の男だったのですが、
彼は純粋に友人の立場として、不倫をやめ家族の下へ帰るよう説得に来たのですが、
エルヴィラにも様々な圧をかけ不倫を辞めさせようと仕掛けてきますが、二人の愛は強まるばかり。
シクステンには、エルヴィラへの愛を強くした機会でありました。
しかしエルヴィラにとっては、愛してくれるのは嬉しいけれども、愛を貫いて破滅か、愛を終わらせるか(二人の愛をシクステンに解消してもらうか)、
それしか道はない、と考える契機になったのではないでしょうか。
エルヴィラは自分は後戻り出来ないけれども、シクステンにはまだ選択の余地(家族の元へ帰る)はあると…そう考えているのではと思いました。
二人だけで生きて行くことは難しい。
逃亡者が仕事をもち安定した収入を得ることの難しさを二人は知ります。
森の中で木の実やキノコを早口で食べる二人に上流階級であったころの面影はありません。
大切のものも少しづつ切り売り、全てを失った時に、二人はベッドの中で話をします。
心臓を撃つか、こめかみを撃つか…
この映画は、天国を撮影しているかのような映像美が特徴の一つに挙げられると思います。
ぼかしを多用したドリーミーな夢の中の世界
そしてドリーミーを自然に演じるエルヴィラ役ピア·デゲルマルクの神秘性。
金髪が光で透ける画はため息が出る程の美しさです。
映像美、女優同様それは音楽で使われているモーツァルトのピアノ協奏曲21番にもいえ、
映像、女優、音楽の三位一体で程よいバランスを保っています。
このピアノ協奏曲21の第二楽章はこの映画で使用されたことがきっかけで、
海外ではElvira Madigan と呼ばれることがあるそうです。
👇👇ピアノ協奏曲第21番の第2楽章👇👇
てふてふを追いかけて遊ぶふたり から物語ははじまり
てふてふを捕まえたところで愛する人に撃たれる エルヴィラ
天上の世界というか、夢の世界のラブストーリーそのものでした
と許されない恋ながらも、綺麗なおとぎ話を見た気分の ちゅう でした。
コメント